第三子を産んでちょうど今日で二ヶ月!いわゆる身体を休めることに徹するべき産褥期も終わり、ちょっとした節目なので妊娠~自宅出産までを振り返ってみる。以前、「第三子を自宅で産もうと決めました」という記事の答え合わせとして是非読んでいただきたい。 それにしても、これまでに二度乳児の育児を経験したからこそ、わかっていたはずなのに、やっぱり新生児期はあっという間にすぎた。3000g弱、触ると壊れそうなほど儚さを纏った繊細な身体も、もう6000g目前、ふくふくしいにも程がある…!たった二か月で産まれたときの二倍になっているなんて。人生でこんな短期間でこんなに成長することなんてもう二度とないと思うと、人の命の神秘に立ちあっている日々。私も同じ速さで元の身体にもどったらよいのに、失われた筋力は一向に戻らず、蓄えた脂肪は鎮座している。なんでや。 五人家族になりました 三度目の乳児期にして、ようやく見えてきた景色 過去二度の乳児期の育児は、それはそれはてんてこまい。一人目はすべてが初めての体験なので、毎度真面目に悩み、四苦八苦し、二人目は絶賛イヤイヤ期の上の子との二歳差育児でほぼ記憶喪失。(当時夫は週5で出社する会社員で、朝7時半には家を出て、帰るのは0時前後。加えて週末にMBAの学生をしていたので、私は週7でワンオペ育児をしていた。そしてそんな中でも、私自身、創業準備をしていた。) 育児を楽しめる自分でいたいという願望を捨て去ったことはないけれど、実現できたとは口が裂けても言えない…。自分の中のもやもや・いらつき・やるせなさの矛先が常に、夫と自分に向いていて(子供には向かなかった。というより、意思をもって向けなかった。)、ご機嫌とは程遠かった。不機嫌の被害者はもちろん夫をはじめとした周りの人たちなのだけど、もれなく自分も被害者の一人で、いつも不機嫌から立ち直ったあとに、猛烈に後悔してその度に自己信頼がなくなった。もう一度、育児をやり直したいと思ったことは数知れず。けれど、その時の自分のベストを尽くしていたのだから、きっとやり直したとて結果は一緒だろうとも思う。それに、その時の感情も反応も、すべて学びとして自分に必要な体験だったよな、と折り合いをつけて、過去はやり直せないから、せめて今、ご機嫌に過ごそうと努力をしてきた。 だからこそ、第三子の妊娠がわかったとき、「ご機嫌な自分で赤ちゃんと向き合いたい」という、心のどこかに残っていたやり残しに、もう一度向き合うチャンスをもらえたように感じた。私にとって再挑戦の始まりだった。一人目とは8歳差・二人目とは6歳差という年の差を味方に、手のかかる時期を過ぎた上二人の子供にも育児を手伝ってもらえる。そもそも一人目出産以降のこの8年で、私自身も自分との付き合い方が少しずつ分かってきて、心身共に随分整った自負がある。今なら、ただ純粋に赤ちゃんと過ごす時間・赤ちゃんの成長をリアルタイムで楽しめるのでは。そんな期待が膨らんだ。 そして、実際この2か月、自分でもびっくりするくらい、第三子を常時かわいいと思いながら、もう過ぎ去ると帰ってこない目の前の時間を楽しめている自分がいる。産まれて1か月半ほどは夜にまとまって寝れず、それだけは辛かったけれど、それを除くと泣いてても、吐いても、漏らしても、何してもかわいい。 ご機嫌は身体が元気だからこそ こうやって(ある程度)ご機嫌にすごせているのは、身体が元気であることが大きい。心と身体はつながっているとよくいうけれど、疲れきった身体でご機嫌でいるのは間違いなく難しい。 初めての出産のときから、歳は八歳も重ねているけれど、上ふたりのときとは比べ物にならないくらい元気に過ごせたのは、 ① 出産時の身体のダメージが少なく、回復が早かった② 助産師さんのサポートもあり母乳をスムーズに軌道に乗せれた③ 産後一か月、私の養生最優先で夫が家事育児を担ってくれた これらの理由から。いずれも、自宅出産だったからこそ実現したことばかり。三度目にして自分にしっくりくる出産ができたことは、改めてとても良い経験だった。 安産は一日にしてならず 特に①②は、病院で二度産んだ私が知らなかったことを、ひとつずつ丁寧に指導し、人間の持つ本来の力を最大限引き出してくれた助産師さんのおかげ。二度の病院での出産より、自分の身体の神秘を味わうことができた!もう一度出産したいくらい。 自宅出産を決めて、初めて助産師に会ったとき、受け取ったプリントのひとつに「安産は一日にしてならず」と書かれた予定日までの健診の時期や内容が細かく記されたスケジュールがあった。それを見ながら、「安産になるかどうかは、妊娠中の暮らしぶりの答え合わせのようなもの」と説明を受けた。もちろん、体型や骨格、骨盤の大きさ、持病の有無など、生まれ持った要素が大きく影響する部分もある。そこはどうしようもない。けれど、運動や食事、生活リズムといった日々の積み重ねは、自分の意思で整えることができる。この話を聞いたとき、病院で出産したときの「先生に取り上げてもらう」という受け身の感覚から、「自分で産む」という主体的な意識へと、自然と切り替わっていった。 「安産は一日にしてならず」 自宅出産でも、病院で産む場合と同じ頻度で検診があり、毎月会う度に、助産師さんは細やかにそのときの状態を見たうえで、過ごし方のアドバイスをくれた。(後期以降は自宅に来てもらっていたが、それまでは助産院へ通った。)前置胎盤の状態が続いたときや、途中で子宮頸がんの検査で異形細胞が出ているが故に追加検査をしたときなどは、日々ラインでやりとりしながらフォローしてもらえた。わからないことがあるときにすぐに聞ける相手がいることはとても心強かった。季節や体調に合わせて、食材や飲み物についても指導してくれたり、なんやったら検診の度に何か持たせてくれたり。実母よりひと周り以上お若い助産師さんだけど、完全に私のオカン。行く回数を重ねる度に、助産院にいくのは実家に帰るような気持ちに。病院の先生をオトンやオカンと思うことは決してなかったので、こういった関係を助産師さんと育みながら妊娠期を過ごしたからこそ、ものすごいリラックスした状態でお産当日も過ごせたなと思う。 自然なお産VS医療介入? 自宅出産をしたというと、びっくりされることが多い。実際今の日本では、助産院での出産は1%、さらに自宅出産は0.2%だそう。病院以外で産む選択肢があることをそもそも知らない人も多い。 「自宅出産」と聞くと、自然のまま、医療に頼らない、というイメージを抱く方も多いかもしれない。けれど実際は「医療を否定するお産」では決してなく、むしろ、自宅出産こそ「医療の力を正しく使う」という視点が欠かせない。どんなお産であれ、命を預かる場にはプロの知識と経験が必要。自宅出産の場合、出産に向けての妊婦健診はもちろん、助産師さんによる綿密なリスク管理が行われる。漠然と病院の方が安心かも?とこの意思決定をした私ですら最初は思っていたが、助産師さんは今後の職業人生がかかっているので(ミスが起これば廃業になりかねない)、それこそ命を懸けて向き合ってくれる。 助産院には、エコー検査の医療機器などはないため、嘱託医がいる提携先の病院で、出産までに最低4回は検査を受け、その結果を元に、助産師さんと病院の先生で、本当に自宅出産が可能か判断する。(開業助産師がお産を扱う上で嘱託医との連携は必須)私は、病院での検査にことごとくひっかかり本来最低4回のところ、振り返ると7回も病院に行っていた。なんなら病院で産む方より高頻度で検診を受けていたことになる。少しでもリスクがあると判断された場合、無理に自宅で産むことは許されない。リスクに目をつぶってお産の最中に緊急搬送にでもなったら大変なので、お産の前にその判断は下されることが多いそう。妊娠経過はもちろん、出産中に起こりうるあらゆる状況を、これでもか!というほど細かくシミュレーションしたチャートを見せてもらったときには、その情報量の多さに圧倒された。状況に応じてどのような判断を下すのかが丁寧に整理されており、まさかここまで科学的かつ論理的に出産が組み立てられているとは思っていなかった。 だからこそ、「自宅で産める条件」を整えるために、あらゆるケースを想定して準備をする。その準備、もちろん妊婦が引き受けないといけない。細やかなアドバイスをする助産師さん、そしてそれに耳を傾け日々の暮らしを整える妊婦、二人三脚でお産まで歩むことになる。「自然に産む」とは、「なんとなく自然に任せる」ということではなく、本来備わった力を信じ、そこに必要な知恵や手助けを、意志をもって選ぶことだと感じた。 家族全員に見守られたくて自宅出産を決意したはずなのに 何度も、自宅出産は難しいかもしれないという検診の結果に直面した。けれど、自分にできることは本当にシンプルだった。食事、運動、生活リズムを整えること。そこに静かに向き合い続けた。ありがたいことに、無事に正期産を迎え、(正期産前の出産は自宅ではできないのに、正期産に入る二日前に嘔吐と前駆陣痛により、もう産まれるのか!?とひやひやした。最後の最後まで助産師さんに気を揉ませる妊婦だった。)自宅出産ができる!という条件が整い、あとは陣痛が来るのを待つのみ。そして、とうとうその日を迎えたのだけど、自分の想定からは大きく外れる出産となった。 予定日までまだ2週間弱あるし、一人目は新月、二人目は満月の夜に産まれていたから月の満ち欠けを考えるとまだ産まれるのは1週間先だろうとたかを括っていたタイミングだった。その日、朝おしるしがあり、いよいよいつ産まれてもおかしくない!しばらく外出もできないし!と、食い意地を最大限発揮していた私は、昼に絶品のピザをほおばっていた。ランチ後、帰宅してなんかいつもより前駆陣痛が長いなぁと思い、16時過ぎ、まだ本陣痛に進んでいくかわからないが、3-5分間隔で子宮収縮を感じたタイミングで助産師さんが来てくれることに。(片道40分くらい)この時まだ私は、満月は来週やしなぁ、呼びつけといて陣痛逃げそうで忍びない、とのんびりしていた。助産師さんが来てくれると連絡をくれ、身体がよしいくでぇ〜〜!とスイッチを入れたのだろうか。急に、これはやっぱり痛いのでは?と思い始めた。一番痛くて辛いときに夫がいないと困ると思い、まだその時は本陣痛の確信もなく、痛みに余裕もあったので、「今のうちに息子の保育園お迎え行ってきて!」(遠い所に通わせてて往復50分)と夫を送り出す。17時過ぎには、学童から帰る娘、夫と息子、そして助産師さんが揃うので、皆で赤ちゃんを迎えれる!よかった!と、その時は呑気に構えていた。すると、16時半過ぎから急に痛みが増し増しに。家で一人きり。痛いのに誰もテニスボールで押してくれへん。少しでも痛みが和らぐようにと思い、湯舟にお湯をはって半身浴をしてみたが、湯舟に座ってるより横になっている方が楽な気がして、結局15分足らずで上がる。半身浴後、産まれてしまう可能性を悟った私は、防水シーツを布団にしいた。そのときの私はものすごく冷静で、陣痛の波の合間は痛みがないことを自覚しながら、その静かな時間を楽しんですらいた。そうこうしてるうちに、陣痛の波の間隔もどんどん狭まり、痛みもマックスに。気づいたら「いきみたい!」(正確には、猛烈な便意で、きばりたい!という感じだった。生々しい話でごめんなさい。)という感覚が込み上げる大波がやってきて、私は確信した。うわ、産まれる。一人で産むことになる。そして、3回目の大波のタイミングの直前、体勢を四つん這いに変えた途端、破水して羊水と血がバシャーンと弾けでて、同時に赤ちゃんの頭がドゥルンと出てきた。特にいきんでもないのに自然と出てきたのが不思議だった。(おかげで、会陰も切れずに済んだ。後に、会陰切開をしないで済んだことがはやめの回復にめちゃくちゃ貢献していることに気づき、割けずに伸びてくれた会陰に感謝した。)そのタイミングで、息子帰還。ドアを開け私のいる所に走り寄ってきたところ、異変に気づき、玄関に向かって「頭出てるー!」と叫ぶ。同じタイミングで合流した助産師さんと夫が玄関からダッシュで駆け寄ってくれ、間一髪布団に叩き落とす前に助産師さんに取り上げてもらうことができた。(長男はその後、第一発見者として自分のことを誇りに思っている。なんて愛くるしいんや。)「家族四人に見守られて、全員で迎える」ため、も自宅出産を望んだ理由の一つだったのに、まさかのほぼ一人出産。なんともお騒がせなお産となった。 四人家族からスムーズに五人家族になれた...