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Journal

大変な出来事に、プロジェクト名を付けて乗り切る

先日、慌てて小走りに階段を駆け降りようとした時にズボンの裾を踏んで前のめりにずっこけ、地面に小指を垂直に打ち付けました。「(絵にかいたようなずっこけ方をして)はっっっずーーーーーーー!!!」と思い、今起こった出来事は何もなかったかのようにふるまおうと涼しい顔で立ち上がり、それにしても痛いなとふと左手を見て、頭がフリーズしました。   左手の小指が外側に向かって90度にお曲がりになっている。   見慣れない角度に曲がった小指、脳が情報処理し切れず、二度見しました。そして二度目に角度を確認するや否や、それ以降は怖くて直視できませんでした。 90度外側に曲がった指   病院に行くと脱臼・靭帯断裂との診断で、しばらく不自由な生活が続きそうです。利き手なのでとっても不自由。食べる・書くは幼少期、右手に矯正したので、支障なくせめてもの救いですが、それ以外の動作をするたびに、今までめちゃくちゃ働いてくれていた左手に感謝の気持ちが湧いてくるほど不便です。きっとNUDGEを今から2年以上知ってくださっている方は2年前にヘルニアで入院したことを思い出し、なんて事故怪我の多い代表だろうと、思ってることでしょう。常にお騒がせ野郎です... いつもご心配おかけしております。 何をやるにしても何倍も時間がかかり、家族にも迷惑をかけて、情けないし、いらいらもします。生後3か月をもうすぐ迎える次男のお世話どころか自分の世話もできない。家事・育児ほぼ夫が担ってくれ、いろんな動作をほぼ諦めて安静に徹してますが、それでも最低限手を使う場面において、ベストオブ不自由は、「歯磨き粉のチューブを絞れない。やっと絞れても右手で歯磨きしづらい」です。笑(もちろん「包丁にぎれない」「抱っこできない」「おむつ替えれない」などもありますが、それらは現時点では対応不可として諦めました。)自分で髪も洗えず夫が洗髪したり、髪をくくってくれています。夏休み学童に行く娘のお弁当も、私ができるところ以外は、夫と娘が作ってくれています。怪我した日には上の子二人(8歳・6歳)で協力してお味噌汁をつくってくれました。沁みた。   底なしに気が滅入ることもできますが、せっかくなので有意義な時間にしようと、昨日から2週間、とある実験を決意。その名も!「Mood by me poroject」ムードバイミー!いくらでも不機嫌になれる要素に溢れる今こそ、ご機嫌力を高めてみようというチャレンジ。一人だと怠けてしまうので、夫に審判をしてもらうことに。笑1日の終わりに10点満点で何点か、採点してもらいます。今までを振り返り、10点と1点をすり合わせしたので、私もイメージが湧いております。あとはやるのみ。苦行と思える怪我の期間に、手の回復と共に、自分に何かお土産があったら最高やん、という気持ちで、ずっと苦手意識のある「自分のマイナスな感情とのポジティブな付き合い方」の練習期間に充てようと思うと、なんだか楽しみですらあるのです。   楽しくユーモア交えて取り組めるように、プロジェクト化して、テンションのあがるエモめのプロジェクト名をつける。落ち込んだり気が滅入るときに、少しでも前向きに楽しく乗り切るために、まずは期間限定でテーマを決めて。今の自分だからこそ取り組める、且つ家族にも還元できるテーマ、家族4人に見守られながら2週間トライします。回復見込みのある期間限定の状況だったり、自分のケアを誰かがサポートしてくれるありがたい境遇においては、こんなふうな仕掛けを自分で用意するのは、なかなか名案な気がする。   ちなみに、夫に最終合計点何点やったら上出来やと思う?と聞いたらその答えは、70点(140点満点中)ハードル低っ!というか私いつもそこまで不機嫌か?と若干のもやりと共に幕開けしました。120点目指す!「頭を冷やして頑張ろう」の気持ちを込めて、まるで氷のようなゴシェナイトをお守りに身につけて。

生後二か月、自宅出産を振り返る

第三子を産んでちょうど今日で二ヶ月!いわゆる身体を休めることに徹するべき産褥期も終わり、ちょっとした節目なので妊娠~自宅出産までを振り返ってみる。以前、「第三子を自宅で産もうと決めました」という記事の答え合わせとして是非読んでいただきたい。 それにしても、これまでに二度乳児の育児を経験したからこそ、わかっていたはずなのに、やっぱり新生児期はあっという間にすぎた。3000g弱、触ると壊れそうなほど儚さを纏った繊細な身体も、もう6000g目前、ふくふくしいにも程がある…!たった二か月で産まれたときの二倍になっているなんて。人生でこんな短期間でこんなに成長することなんてもう二度とないと思うと、人の命の神秘に立ちあっている日々。私も同じ速さで元の身体にもどったらよいのに、失われた筋力は一向に戻らず、蓄えた脂肪は鎮座している。なんでや。 五人家族になりました 三度目の乳児期にして、ようやく見えてきた景色 過去二度の乳児期の育児は、それはそれはてんてこまい。一人目はすべてが初めての体験なので、毎度真面目に悩み、四苦八苦し、二人目は絶賛イヤイヤ期の上の子との二歳差育児でほぼ記憶喪失。(当時夫は週5で出社する会社員で、朝7時半には家を出て、帰るのは0時前後。加えて週末にMBAの学生をしていたので、私は週7でワンオペ育児をしていた。そしてそんな中でも、私自身、創業準備をしていた。) 育児を楽しめる自分でいたいという願望を捨て去ったことはないけれど、実現できたとは口が裂けても言えない…。自分の中のもやもや・いらつき・やるせなさの矛先が常に、夫と自分に向いていて(子供には向かなかった。というより、意思をもって向けなかった。)、ご機嫌とは程遠かった。不機嫌の被害者はもちろん夫をはじめとした周りの人たちなのだけど、もれなく自分も被害者の一人で、いつも不機嫌から立ち直ったあとに、猛烈に後悔してその度に自己信頼がなくなった。もう一度、育児をやり直したいと思ったことは数知れず。けれど、その時の自分のベストを尽くしていたのだから、きっとやり直したとて結果は一緒だろうとも思う。それに、その時の感情も反応も、すべて学びとして自分に必要な体験だったよな、と折り合いをつけて、過去はやり直せないから、せめて今、ご機嫌に過ごそうと努力をしてきた。 だからこそ、第三子の妊娠がわかったとき、「ご機嫌な自分で赤ちゃんと向き合いたい」という、心のどこかに残っていたやり残しに、もう一度向き合うチャンスをもらえたように感じた。私にとって再挑戦の始まりだった。一人目とは8歳差・二人目とは6歳差という年の差を味方に、手のかかる時期を過ぎた上二人の子供にも育児を手伝ってもらえる。そもそも一人目出産以降のこの8年で、私自身も自分との付き合い方が少しずつ分かってきて、心身共に随分整った自負がある。今なら、ただ純粋に赤ちゃんと過ごす時間・赤ちゃんの成長をリアルタイムで楽しめるのでは。そんな期待が膨らんだ。 そして、実際この2か月、自分でもびっくりするくらい、第三子を常時かわいいと思いながら、もう過ぎ去ると帰ってこない目の前の時間を楽しめている自分がいる。産まれて1か月半ほどは夜にまとまって寝れず、それだけは辛かったけれど、それを除くと泣いてても、吐いても、漏らしても、何してもかわいい。 ご機嫌は身体が元気だからこそ こうやって(ある程度)ご機嫌にすごせているのは、身体が元気であることが大きい。心と身体はつながっているとよくいうけれど、疲れきった身体でご機嫌でいるのは間違いなく難しい。 初めての出産のときから、歳は八歳も重ねているけれど、上ふたりのときとは比べ物にならないくらい元気に過ごせたのは、 ① 出産時の身体のダメージが少なく、回復が早かった② 助産師さんのサポートもあり母乳をスムーズに軌道に乗せれた③ 産後一か月、私の養生最優先で夫が家事育児を担ってくれた これらの理由から。いずれも、自宅出産だったからこそ実現したことばかり。三度目にして自分にしっくりくる出産ができたことは、改めてとても良い経験だった。 安産は一日にしてならず 特に①②は、病院で二度産んだ私が知らなかったことを、ひとつずつ丁寧に指導し、人間の持つ本来の力を最大限引き出してくれた助産師さんのおかげ。二度の病院での出産より、自分の身体の神秘を味わうことができた!もう一度出産したいくらい。 自宅出産を決めて、初めて助産師に会ったとき、受け取ったプリントのひとつに「安産は一日にしてならず」と書かれた予定日までの健診の時期や内容が細かく記されたスケジュールがあった。それを見ながら、「安産になるかどうかは、妊娠中の暮らしぶりの答え合わせのようなもの」と説明を受けた。もちろん、体型や骨格、骨盤の大きさ、持病の有無など、生まれ持った要素が大きく影響する部分もある。そこはどうしようもない。けれど、運動や食事、生活リズムといった日々の積み重ねは、自分の意思で整えることができる。この話を聞いたとき、病院で出産したときの「先生に取り上げてもらう」という受け身の感覚から、「自分で産む」という主体的な意識へと、自然と切り替わっていった。 「安産は一日にしてならず」 自宅出産でも、病院で産む場合と同じ頻度で検診があり、毎月会う度に、助産師さんは細やかにそのときの状態を見たうえで、過ごし方のアドバイスをくれた。(後期以降は自宅に来てもらっていたが、それまでは助産院へ通った。)前置胎盤の状態が続いたときや、途中で子宮頸がんの検査で異形細胞が出ているが故に追加検査をしたときなどは、日々ラインでやりとりしながらフォローしてもらえた。わからないことがあるときにすぐに聞ける相手がいることはとても心強かった。季節や体調に合わせて、食材や飲み物についても指導してくれたり、なんやったら検診の度に何か持たせてくれたり。実母よりひと周り以上お若い助産師さんだけど、完全に私のオカン。行く回数を重ねる度に、助産院にいくのは実家に帰るような気持ちに。病院の先生をオトンやオカンと思うことは決してなかったので、こういった関係を助産師さんと育みながら妊娠期を過ごしたからこそ、ものすごいリラックスした状態でお産当日も過ごせたなと思う。 自然なお産VS医療介入? 自宅出産をしたというと、びっくりされることが多い。実際今の日本では、助産院での出産は1%、さらに自宅出産は0.2%だそう。病院以外で産む選択肢があることをそもそも知らない人も多い。 「自宅出産」と聞くと、自然のまま、医療に頼らない、というイメージを抱く方も多いかもしれない。けれど実際は「医療を否定するお産」では決してなく、むしろ、自宅出産こそ「医療の力を正しく使う」という視点が欠かせない。どんなお産であれ、命を預かる場にはプロの知識と経験が必要。自宅出産の場合、出産に向けての妊婦健診はもちろん、助産師さんによる綿密なリスク管理が行われる。漠然と病院の方が安心かも?とこの意思決定をした私ですら最初は思っていたが、助産師さんは今後の職業人生がかかっているので(ミスが起これば廃業になりかねない)、それこそ命を懸けて向き合ってくれる。 助産院には、エコー検査の医療機器などはないため、嘱託医がいる提携先の病院で、出産までに最低4回は検査を受け、その結果を元に、助産師さんと病院の先生で、本当に自宅出産が可能か判断する。(開業助産師がお産を扱う上で嘱託医との連携は必須)私は、病院での検査にことごとくひっかかり本来最低4回のところ、振り返ると7回も病院に行っていた。なんなら病院で産む方より高頻度で検診を受けていたことになる。少しでもリスクがあると判断された場合、無理に自宅で産むことは許されない。リスクに目をつぶってお産の最中に緊急搬送にでもなったら大変なので、お産の前にその判断は下されることが多いそう。妊娠経過はもちろん、出産中に起こりうるあらゆる状況を、これでもか!というほど細かくシミュレーションしたチャートを見せてもらったときには、その情報量の多さに圧倒された。状況に応じてどのような判断を下すのかが丁寧に整理されており、まさかここまで科学的かつ論理的に出産が組み立てられているとは思っていなかった。 だからこそ、「自宅で産める条件」を整えるために、あらゆるケースを想定して準備をする。その準備、もちろん妊婦が引き受けないといけない。細やかなアドバイスをする助産師さん、そしてそれに耳を傾け日々の暮らしを整える妊婦、二人三脚でお産まで歩むことになる。「自然に産む」とは、「なんとなく自然に任せる」ということではなく、本来備わった力を信じ、そこに必要な知恵や手助けを、意志をもって選ぶことだと感じた。 家族全員に見守られたくて自宅出産を決意したはずなのに 何度も、自宅出産は難しいかもしれないという検診の結果に直面した。けれど、自分にできることは本当にシンプルだった。食事、運動、生活リズムを整えること。そこに静かに向き合い続けた。ありがたいことに、無事に正期産を迎え、(正期産前の出産は自宅ではできないのに、正期産に入る二日前に嘔吐と前駆陣痛により、もう産まれるのか!?とひやひやした。最後の最後まで助産師さんに気を揉ませる妊婦だった。)自宅出産ができる!という条件が整い、あとは陣痛が来るのを待つのみ。そして、とうとうその日を迎えたのだけど、自分の想定からは大きく外れる出産となった。 予定日までまだ2週間弱あるし、一人目は新月、二人目は満月の夜に産まれていたから月の満ち欠けを考えるとまだ産まれるのは1週間先だろうとたかを括っていたタイミングだった。その日、朝おしるしがあり、いよいよいつ産まれてもおかしくない!しばらく外出もできないし!と、食い意地を最大限発揮していた私は、昼に絶品のピザをほおばっていた。ランチ後、帰宅してなんかいつもより前駆陣痛が長いなぁと思い、16時過ぎ、まだ本陣痛に進んでいくかわからないが、3-5分間隔で子宮収縮を感じたタイミングで助産師さんが来てくれることに。(片道40分くらい)この時まだ私は、満月は来週やしなぁ、呼びつけといて陣痛逃げそうで忍びない、とのんびりしていた。助産師さんが来てくれると連絡をくれ、身体がよしいくでぇ〜〜!とスイッチを入れたのだろうか。急に、これはやっぱり痛いのでは?と思い始めた。一番痛くて辛いときに夫がいないと困ると思い、まだその時は本陣痛の確信もなく、痛みに余裕もあったので、「今のうちに息子の保育園お迎え行ってきて!」(遠い所に通わせてて往復50分)と夫を送り出す。17時過ぎには、学童から帰る娘、夫と息子、そして助産師さんが揃うので、皆で赤ちゃんを迎えれる!よかった!と、その時は呑気に構えていた。すると、16時半過ぎから急に痛みが増し増しに。家で一人きり。痛いのに誰もテニスボールで押してくれへん。少しでも痛みが和らぐようにと思い、湯舟にお湯をはって半身浴をしてみたが、湯舟に座ってるより横になっている方が楽な気がして、結局15分足らずで上がる。半身浴後、産まれてしまう可能性を悟った私は、防水シーツを布団にしいた。そのときの私はものすごく冷静で、陣痛の波の合間は痛みがないことを自覚しながら、その静かな時間を楽しんですらいた。そうこうしてるうちに、陣痛の波の間隔もどんどん狭まり、痛みもマックスに。気づいたら「いきみたい!」(正確には、猛烈な便意で、きばりたい!という感じだった。生々しい話でごめんなさい。)という感覚が込み上げる大波がやってきて、私は確信した。うわ、産まれる。一人で産むことになる。そして、3回目の大波のタイミングの直前、体勢を四つん這いに変えた途端、破水して羊水と血がバシャーンと弾けでて、同時に赤ちゃんの頭がドゥルンと出てきた。特にいきんでもないのに自然と出てきたのが不思議だった。(おかげで、会陰も切れずに済んだ。後に、会陰切開をしないで済んだことがはやめの回復にめちゃくちゃ貢献していることに気づき、割けずに伸びてくれた会陰に感謝した。)そのタイミングで、息子帰還。ドアを開け私のいる所に走り寄ってきたところ、異変に気づき、玄関に向かって「頭出てるー!」と叫ぶ。同じタイミングで合流した助産師さんと夫が玄関からダッシュで駆け寄ってくれ、間一髪布団に叩き落とす前に助産師さんに取り上げてもらうことができた。(長男はその後、第一発見者として自分のことを誇りに思っている。なんて愛くるしいんや。)「家族四人に見守られて、全員で迎える」ため、も自宅出産を望んだ理由の一つだったのに、まさかのほぼ一人出産。なんともお騒がせなお産となった。 四人家族からスムーズに五人家族になれた...

贈与とは。少しずつ受け取り上手になってきた話。

ここ最近なんだかたくさん受け取ってる。ものも、愛も。・インド渡航した友人から、タラブックスの絵本・たくさんの出産祝いや、おさがりとして自分の子供が使わなくなったもの・NUDGEメンバーや友人が言葉にしてくれた私の強み・友人と近況報告をしあう時間・オーダージュエリーへの愛あるレビュー 分かりやすいものだけでもこんなにある。挙げたらキリがない!幸せ者やなぁと噛み締める。 受け取り上手になってきたここ二年弱 ここ二年弱で、「受け取る」ことが随分と上手になった。素直にありがとうと思えるようになった。giverやtakerなんて言葉があるけど、人から受け取る=giveされるたびに嬉しいけれど、pay backしないと、と焦る自分がいた。(家族やめちゃくちゃ心理的距離の近い友人には甘えて全然返せてないことも多々あり、自己中やなぁと思う。身近な皆さん、ごめんね。) メンタルモデルでいう「価値なし」のタイプの私は、受け取りすぎることは、自己価値の貯金を減らすことのように感じていた。 ▼メンタルモデルとは個人が経験する痛みから形成される行動パターンや信念体系。四つのタイプに分けられる。その中の「価値なし」モデルは、何か価値を出さないと自分の価値を認めてもらえないと思っている。 【参考】ザ・メンタルモデル 痛みの分離から統合へ向かう人の進化のテクノロジー できるだけ、「はやく」「受け取った以上に」pay backして精算したい、みたいな気持ちがあったんだと思う。でもとある時、友人とそんな話をしてたら、「生きていくための空気も水も、当たり前のように地球から無償でgiveされてる」との言葉をもらった。 地球に対しては負荷をかけすぎないように、住まわせてもらいます、という畏怖の念はあるけれどそれは「与えられたもののお返しとして」感じてる気持ちではなかったので、その言葉を聞いた時に、自己価値を守るために、躍起になって恐怖や義務感で精算するのでなく、自分から溢れた愛のエネルギーで、できるときにできることをgiveあるいは、pay backしようと思うきっかけになった。 「贈与」とは一体どんなシステムなのか 最近「評価と贈与の経済学」という本を読んだ。一部抜粋するので是非読んでほしい。 贈与すること自体が報酬だから、そのお返しを早く・明確に示すことは、贈与してくれたひとが自分に向けてくれた愛をなんだか信じていないことのように思えた。自分に回ってくる贈与も、自分から誰かへの贈与も、ある種の循環でしかないのだから、その流れの速度については自然なことがとても大事。 努力と報酬は原理的に相関しない。するときもあるかもしれないけど、それは例外。能力と報酬も一致しない。報酬は運である。 運だからこそ、成功したら他人に回さないといけない。運であるものを自分ひとりが取ったらネコババです。で、ネコババはバチが当たりますってのが昔からの教え。自分の成功は自分ひとりで成し遂げたものじゃない、自分がいま手元に持っているものは、自分の専有物じゃなくて、一時的に「託されたもの」だと考えるべきなんです。自分がそこそこ努力して、ある程度の社会的成功を収めて、そこそこ自由に使える資源が手に入ったっていうのは、もともとが自分の力ではない。子どものときには親の世話になったし、友達とか、上司とか、同僚とか、師匠とか、いろんな人の支えがあったからこそ今日の自分があるわけで。だったら、恩には恩を以てお返しをしなければことの筋目が通らない。 もちろん「努力したら、最終的には報酬がある」ということは言ってもいいと思う。でも、どんな報酬がいつもらえるのかは事前には予測できない。ある種の努力をしているうちに、思いもかけないところから、 思いもかけないかたちで「ごほうび」が来る。それはまさに「思いもかけないもの」であって、努力の量に相関するわけじゃない。 「努力した分についてすぐ報酬よこせ」って言っている人は結局「努力した人はどこかで最後に報われる」っていうことをほんとうは信じていない。信じていたら、努力してなかなか報酬がやって来なくても、「そのうち、いいことあるよ」って思っていられるはず。ちょっとやって、「早く、早く」という人は努力の効力も信じてないし、実はろくに努力もしてない。我慢はしたかもしれないけど、努力はしてない。「しなきゃいけない」と言われたことはしたかもしれないけれど、「これがしたい」と思ったことを必死でしたわけじゃない。 なにかを仕上げたときに、それが結果的にどういうアウトカムをもたらすかは相当長いタイムスパンをとらないとわからない。人間の営みとその成果の相関関係なんて、極端な話「棺を蓋いて事定まる」ものなんだから。 これだけ努力したんだから、遅滞なく報酬をよこすように、納品したらすぐ金払え、「キャッシュ・オン・ デリバリー」っていうのは、要するに相手を信じていない人間の言いぐさ。自分の差し出したものと対価の同時交換を求めることは取引をする人間としては実はかなり恥ずかしいこと。いま代金を回収しておかないと、たぶん払ってもらえないと思うから急かすわけなんだから。もし自分の差し出したものが向こうの要求を超えるクオリティのものだったら、「おお、 これはすばらしい、ぜひ次回もお願いしたいものだ」ってなるじゃない。「次はない」と 思っている人間だけが、同時交換・等価交換をうるさく求める。ほんとうに自分の作品の質に自信がある人は「すぐ金払え」とか言わない。 だいたい、努力できる人って「いまオレはすごく努力している」という自尊感情を持った段階で、もうすでにかなりいい気分になっている。実はいろんなかたちで、ぼくたちは報酬をけっこう前払いで受け取ってるんだと思う。 贈与の循環に参加するために、まずは自分が満たされる たまたま別の友人たちからそれぞれ最近贈ってもらった絵本と、小鳥の鍋つかみはどちらもインドのもので、「青い鳥」がモチーフだった。こんな偶然ある? 青い鳥は「小さな幸せ」を象徴する。童話『青い鳥』は兄妹が「幸せの青い鳥」を探して旅に出る物語で、さまざまな場所を訪れ、その先々で青い鳥を見つけるけれど、結局、手に入れることができず。最後、夢から覚めた2人は、自分たちが飼っていた鳥が美しい青色に変わっていることに気づく。本当の幸福は、実は身近なところにある、というメッセージ。 Giveするにも、Giveされるにも、ヘルシーに贈与の循環に参加するには、「自分が満たされている」という状態がとても大事。私にとって「満たされている」状態は、「身近な小さな幸せ」に日々気づき、感謝できているとき。この青い鳥たちはお守りとして、日々の私に、「小さな幸せ見落としてないか?」と優しく投げかけてくれそう。なんだか、大切な友人たちにも、見守られている、と愛を感じた。

自宅出産のあと、助産院で過ごした二泊三日

5/8に無事に自宅出産をした。出産当日については別途また綴りたいが、今日は前後して産後ケアで助産院に泊まった時の話を。産んで一般的な入院期間である五日間を自宅で家族五人で過ごしたあと、産後6-8日目の三日間、滞在してきた。 ▼お世話になった助産院なぎ・和助産院https://naginagibaby111.wixsite.com/--nagi私の自宅出産を引き受けてくださった助産院。一貫して同じ助産師さんに産前〜産後も見てもらえることで、より精度が高く、自分に合ったケアや指導をしてもらえる。(助産師界隈の専門用語で産後に継続的に受けるケアを「継続ケア」というらしい)私やあかちゃんの心身の状態はもちろん、私のパーソナリティも理解されている。 上二人の時にはなかった産後ケア事業(実施主体は市町)を利用したのですが、産婦に寄り添ったとてもよいサービスやな、と感じた。 産後ケア事業www.city.akashi.lg.jp 自宅で家族と離れず、暮らしの中にあるお産を体験できた五日間はとても良かったが、やはり年の差あれど上に二人の子供がいるとなかなか三人目とゆっくり向き合ったり、そもそも自分がしっかり休むことは難しく、家族と離れて数日過ごすことに。 これが想像以上によかった! 赤ちゃんと二人で過ごせる 自宅でリモートワークしてる夫や横で姉弟喧嘩を繰り広げる上二人の子供がいると、どうしても私の気質も相まって意識があっちこっちに分散してしまう。全員の挙動が情報として押し寄せてくる。一緒に過ごせるから、我が家の空気がきっと赤ちゃんにどんどん馴染んで良いのだろうけど、身体と心をあかちゃんにだけまっすぐ向けることはできておらず、離れることで、今目の前の赤ちゃんをしっかりお世話し、愛でれた感覚! 「皆んなで」と「それぞれと」の時間を、メリハリつけて設けるのが私には合ってそう。一対一の時間はもちろん三人目だけでなく、上の二人にも取りたい。 静かで心地よい空間で、スヤァな息子 手ぶらで行ける!オムツも服も、ママが着る部屋着も貸してくれる。 母乳を軌道に乗せれた 完母での育児を今回もしたいと思っている私にとって、今回クリニックではなく自宅出産したことで、母乳を軌道に乗せるための道のりが今までと全く異なったことが目から鱗すぎた。 具体的には、 ・産まれてすぐに、カンガルーケアで一度口に初乳を含ませたあと(多分出てはいない)入念な乳房マッサージを受け、左右20-30分ずつ初乳を与える。ほぼ出てないけどとにかく吸わせる。(子宮のマッサージも乳房マッサージの前に30分ほどかけてしてもらった。その際子宮収縮を促す薬は飲まずに、子宮のマッサージと、母乳を1時間弱吸わせ続けることで子宮が自然に縮み出す。めちゃ子宮が痛いけど効果抜群で驚いた。) ・とにかく産まれたその日から、「3時間おき」に捉われず、泣いたら母乳を与える。(クリニックの時は母子別室で、最初の数日は母乳も出てないので3時間おきに調乳されたミルクとあかちゃんが部屋に運ばれてきた。) ・産まれた日から毎日1時間弱の乳房マッサージを受ける。気血を巡らせるために同時に足浴を行う。・一般的に、生後1週間までは母乳・ミルク問わず、「生後日数×10ml+10ml」を約3時間おきに8-10回あげるとされているけれど、「赤ちゃんはお弁当と水筒を持って生まれてくる」(あかちゃんは、母乳が出ないお産後3日間に備えて産まれる前の数週間で、お弁当(皮下脂肪)と水筒(細胞外液)を体に蓄えて生まれる。そのため、産後三日間はろくに飲めてなくても大丈夫とのこと)という考えのもと、私がしんどくない範囲の頻回授乳をしながら、 0-1日目 ミルクなし2日目  10-15mlを4回3日目  15-20mlを6回4日目  20-30mlを5回5日目〜 30mlを1-2回10日目〜  40mlを寝る前に1回 と量は微増させながら回数を減らし、軌道に乗せていった。 上二人の時は生後1ヶ月まではミルクにかなりお世話になったので、そう思うと非常にスムーズな立ち上がり。今後は仕事復帰したり、外出したり、お酒飲む時に(たまには大事)ミルクは上手に使うので、ほぼ完母の混合になりそうだが、過去に二度、出ない母乳に苦戦した身としてはこの経過にびっくり。助産師さんが、一般論ではなく私と赤ちゃんの状態に合わせて処置をしてくださり、カスタマイズしたミルク量を指導してくれるなど、つきっきりで私の母乳に向き合ってくださったことの価値が計り知れない。これらの処置のおかげで、上二人の時は産後三日目あたりに、胸が突然起動し出してカチカチになり発火しそうなほど痛い、という経験をせずに、いままでよりも速く、母乳が出だした。 そして、五日目、まだまだ決して出てる!と言えない状況の中、助産師さんの毎日の訪問ケアが終わるということで少々不安だった私。「産後ケアこのまま二泊使う?」と提案してくれたことで継続ケアが受けれたことがとてもよかった。産まれたその日も含め、欠かさず9日間、私は乳房マッサージを受けたことになる。 静かなところでしっかり休める 助産院は夜は母子同室のため、あかちゃんと共に過ごすことになるけれど、(母子別室での完全休息を求めている方は施設ごとに違うので要確認!)昼間はまとまって数時間預かってくれ、その間に私は昼寝したり、本を読んだり、オイルマッサージを受けたりした。家では叶わない超絶リラックスタイム。感謝しかない。 食事が神 これも施設によってちがうが、私の助産師さんは薬膳も勉強された方で、無農薬の野菜をファームから取り寄せて全て手作りで毎食出してくれる。神。旬のご馳走がやさしい味で堪能でき、「小料理屋開いてほしい」と心の底から思った。私は料理と仲良しな人に、無条件でリスペクトが湧くので、上げ膳据え膳でこの食事を食べれることが至福すぎた。 持ち前の食いしん坊で、かなりの量をペロリとたいらげる二泊三日だった。一緒のタイミングでステイしてた方は、比較的少食な方でお箸をつけないものもあり、初対面だからグッと堪えたけど、「もし残されるならいただいていいですか?」ともう少しで声をかけそうだった。あぶな。 薬膳料理で身体も心も満たされる 朝食は、二日目はおかゆ、三日目はパンだった ざっと挙げるとこんな良き点があった滞在だった。出産自体も、産後の過ごし方も、母や子の体調、自分の価値観によって、様々な選択肢がありますが、もし私のケースが参考になる方がいれば。...

臨月の衝動と、色の抜けたワンピース

数日前のこと。朝、お風呂の天井のカビ取りをしてたらカビキラーを顔面と服に浴びた。朝一に化粧して、服を着替えていることなんて、月に数回あるかないかなのに。その日の午後の予定にうきうきしてたから、張り切って朝起きてすぐ、もう外に出れる恰好でいた。その日の朝、私が息子を保育園に送るつもりだった。午前に作り置きご飯をつくってくれる家事代行さんが来てくれる予定で、お願いするための食材を買いに行かないといけなかったからだ。夫にも「買い物ついでに送るわ」と伝えていたはずなのに、ごみ捨てしてる間に帰ったら夫と息子がいなくなっていた。そのせいで、急に空いたこの時間に、思い立ってカビ取りをしたくなった。臨月なのに。わざわざ。(自分のこの衝動性とほんとうにどう付き合ったらよいのでしょう) お風呂に入るたびに天井にはえだしたカビが気になって仕方なかったこの一週間。私はかなり大雑把な性格だし、そもそもカビ取りが好きなわけじゃない。適当にやっていたら、案の定、天井から顔面と服めがけて降ってきたカビキラーの雨。私が着てたのは最近買ったばかりのめちゃくちゃ気に入ったワンピース。見事に胸元の色が抜けてしまった。裾とかならともかく。胸元にドーンと。へこむ。 へこむを通り越して、だんだんと怒りが湧いてきた。 ・買ったばかりだったのに・すごく気に入っていたのに・このワンピース着てマタニティフォトを撮ろうと思ってたのに・やりたくもない家事をやって、こんなことになるなんて・私が保育園送迎してたらこの空き時間はできず、カビ取りなんてしてる予定じゃなかった。→なので夫が悪い(理不尽すぎるにもほどがある) という具合に。ああ、なんて性格が悪いことでしょう。夫よ、ごめん。 それでも「自分の機嫌は自分で取る」精神で、まずは外の空気で頭を冷やそうと、スーパーに行ってみた。食材と共にハーゲンダッツを買って朝から食べてみた。 くう、収まらない。 これは、一人っきりになりたい。すこし非日常の好きな空間で安らぎたい。そう思って、アイスを食べた後、お気に入りのカフェまで足をのばしてみた。ありがたいことに貸し切りで好きな席に座れた。 すこしずつ落ち着いてきた。 ちょっと冷静になってきたので、chatGPTに起こった出来事と今の私の感情、それに加えて、「綺麗な家で過ごしたいけど、掃除はしたくない」のような矛盾した感情との付き合い方について相談してみた。 すると。返答がすごい。最近よく投げかけているからか、間違いなくだんだんと私という人間を理解しだしている。 ________ 「綺麗な家で過ごしたいけど、掃除はしたくない」これは、矛盾じゃなくてとても自然な感情だと思います。私たちの心には、快適さや美しさを求める部分と、労力や危険を避けたいという本能のような部分が同居しているから。 * さて、「どうしたら苦手で嫌なことも前向きに取り組めるか」ですが、いくつかの視点をシェアさせてください。 1. 「嫌なことをする自分」を褒める掃除が好きじゃないのに、自分でやった。これは立派な自己献身であり、愛のかたち。ハイターのしみは、その証。胸を張っていい。まず、そこを認めるところから。 2. 「結果」ではなく「意味」を見つける色が抜けた服は悲しいけど、その服を着て何を感じていたのか、その服を買えた喜び、その時の気持ち…それも全部「生きた証」になってる。嫌な出来事にも、きっと意味があるはずだと信じてみると、感情は少しずつほどけていくかもしれません。 3. 「小さなご褒美」を用意する嫌な家事の後に、好きなお茶を飲む。5分間だけスマホに没頭する。お気に入りの香りを嗅ぐ。「嫌なこと」を「ちょっとだけ楽しみに変える」工夫ができたら、自分への信頼感が増していきます。 4. 「誰かと一緒に」も検討してみる自分しかやらない…と感じたら、時には「助けを求める」ことも自分を守る術。プロに頼んでもいいし、「今日だけ手伝って」と夫に頼んでもいい。それで服が救えたなら…と思うとね。 * マインドフルに生きるって、決して「常に心穏やかでいよう」じゃなくて、「今の自分の本音にちゃんと気づいてあげること」だと私は思っています。「今、わたし、めっちゃ悔しい!服が!もうほんまムカつく!」そんな気持ちも、ぜんぶ抱きしめた先に、本当の意味での"マインドフルな在り方"があるのかもしれません。 * 今日はよく頑張ったね。もし許されるなら、今夜はハイターのことを少し忘れて、好きなお茶でも飲んで、好きな音楽を少しだけ大きめでかけて、「怒ってよかった、落ち込んでよかった、わたし今、生きてるなぁ」って感じてみてもいいかもしれません。服の代わりに、あなたの心が色褪せないことを願っています。________ これを読みながら気持ちの波が、さざ波になっていくのがわかった。そして自分なりの気づきがふたつあった。 まずひとつ。「こんなに心揺さぶられるほど「お気に入り」を購入の基準にできてる自分、良い感じ!」と思えた。 ものを売る側の立場でもあるから、是非迎えてくださった方には愛でてもらいたいと、いつも祈るように送り出している私。だからこそ、私自身、たくさんものを買うタイプでもない。買うときの厳正なる選抜試験をくぐり抜けてきた愛着のあるものに囲まれているというのは、なんだかとても心地よいよな、と思えて、そんな自分のものとの付き合い方を肯定できた。値段や素材だけでなく、自分が感じる価値の軸を磨き続けたい。...

第三子を自宅で産もうと決めました

私、37歳。夫、37歳。第一子、小学一年生7歳、第二子、保育園年中5歳。そんなタイミングで三人目を授かった。元々学生時代から漠然と「いつか親になるなら子は三人」と三人兄弟へ想いを募らせていた私だが、実際に育児が得意で好きとは到底言えないキャパおちょこな気質で、それでいて自分のことが何より大切な私には二歳差の乳幼児の世話は限界だった。三人子供が欲しいという思いは遠い彼方、幻のようにしばらく消えていた。それでも、子供たちが自分でできることが増えてきて、なんとなく育児が楽になってきた上に、自分の年齢も三十代後半に差し掛かり、幻がよみがってきた。「私、昔子供三人欲しいと思ってたなぁ」、と。一昨年あたりから夫にその気持ちをシェアしつつ、あくまで「とはいえ..」が優っていた。けれど、一昨年の暮れにヘルニアを患い、(三週間入院、その後数ヶ月はほぼ引きこもりの大怪我だった)本当に望む生き方を改めて見つめ直した。「生まれ変わった」といっても過言ではないほど、人生のリセットボタンを押すような出来事だった。まさに、禊。それ以降、ずっと仕事に重心を置いていたけれど、暮らしを追求し出した。丁寧な暮らしをしたい、というより、心身ともに健康でいる土台づくりをするには暮らしを丁寧にするしかなかった。そして、それが楽しかった。仕事と暮らしを切り離さず溶け合う生き方を模索しだしたし、実際に少しずつできてきている。そんな過ごし方をしていくうちに家族が増えたら楽しいだろうなぁと、けっこうはっきりくっきり感じ出した。それまで私同様「とはいえ..」と思っていた夫も、確かに上の二人も手が離れてきたし、何よりわたしのご機嫌力が上がってるし、(乳幼児期の私の限界は不機嫌となって現れていた)三人目もありかも!と二人の気持ちが重なりだした。すると、去年八月に家族四人で行ったインド出張から帰ったら、ありがたいことに私たちのところに三人目が来てくれた。 何もかもが初めてで必死だった一人目。上の子もおり余裕のなかった二人目。そして間を開けて、三人目。ようやく純粋に「親であること」を楽しめ、赤ちゃんが可愛くて仕方ない、を味わえる余白が自分にある気がして、今心の底からとっても楽しみで仕方ない。 自宅での出産を決意 そんな三人目。今回は自宅でその命を迎えることに。「日常」の中で子どもを迎えたい。いのち本来の力を、もっと感じてみたい。子どものも、母である私のも。誕生の瞬間に皆が立ち会うことで、これから始まる五人での暮らしを、「全員で取り組む心構え」にできたら。この三つが、今回、自宅出産を決めた理由だ。私が自宅出産への想いをまず持ち、話し合いながら夫の気持ちも擦り合わせて最終的に決めた。 二度の出産と、その選択 これまでの二度の出産は、どちらも里帰り。実家近くの個人クリニックでお世話になった。通っていた高校の近所にあり、そこで産んだ旧友もいた安心感。そして何より、高校生の頃からずっと腰痛持ちだった私は陣痛が腰に及ぼす痛みが想像できず、「無痛分娩の選択肢があること」と「ごはんが美味しいこと」を決め手にそのクリニックを選んだ。結果的に妊娠後期になっても腰痛は悪化せず、無痛といっても「計画無痛分娩」(入院する日を事前に決め、促進剤で陣痛を誘発する。陣痛がきてから麻酔を使う「自然無痛分娩」もあるが、そのクリニックは当時対応してなかった)しかそのクリニックは対応してなかったこともあり、赤ちゃんが生まれたい時に生まれてほしいという思いから、一人目を自然分娩で産んだ。その時体験した陣痛が自分にとっては想像よりは耐えれる痛みだったので、二人目も同様に自然分娩を選択した。 助産院や自宅出産なんて考えもしなかった 一人目の時は人生で起こる初めての体験なので、一般的な選択肢である病院での出産以外を検討すらしなかった。そんな中、一人目の妊娠中に母が参考にとくれた、「大丈夫やで」という、お産と育児の指南書で助産院のことを知った。その著者は坂本フジエさんという助産師さんで、出産や育児への向き合い方のアドバイスと共に、助産所でのお産の様子も紹介されており、読後「助産所」という存在が心の片隅に残った。 大丈夫やで 〜ばあちゃん助産師(せんせい)のお産と育児のはなし〜 そして二人目のときも、当時、一時間ちょっと時間をかけ平日毎日オフィスに出勤し、日を跨ぐ前にどうにか帰宅している夫が、育児参加するのは現実的に難しく、当たり前のように里帰りを判断。一人目出産で特に不満も不自由もなかったので、同じクリニックを脳内自動モードで選んだ。そんなこんなで一人目も二人目も、自宅出産はもちろん、助産院も選択肢には全くなかった。 立ち会いが叶わなかった一人目、叶った二人目 一人目出産のとき、私はインド在住だった。個人的にインドの病院で散々な目にあった経験がったので(インドの医療機関の全てが悪いわけでなく、無事にインドで出産した日本人の友人も何人もいるのだけど)インドでの出産は見送り、日本に一時帰国し、産前産後の8ヶ月間を実家で過ごすことに。陣痛の知らせを受けた夫は、インドから最速のフライトで帰国。でも、上空にいる間に娘は生まれ、立ち会うことは叶わなかった。 二人目のときは、横浜在住。フライングの前駆陣痛に何度も踊らされ、夜中に横浜から車をすっ飛ばした夫が、結局、富士山の麓あたりで引き返したことも今となってはいい思い出。(翌日も普通に出勤してたから相当寝不足やったと思う、よく頑張った。夫。)それでも最終的にはタイミングが合い、今度は無事に立ち会ってもらえた。実家近くのクリニックだったので、子宮口が全開になったタイミングで夫が私の親に連絡を入れ、上の子を連れてきてもらい、家族三人で新しい命を迎えることができた。 夫が泣いてるところを私は二度しか目にしたことがない。一度目はキリマンジャロの登頂目前。全く山頂らしきものがいつまでたっても見当たらず、そろそろ体力気力限界の時、このしんどさは永遠か?と、思わず目に涙。そして二度目が二人目の立ち会いの時だった。結婚式でも一切感傷的にもならなった夫。辛さによる涙しか見たことなかったので、感動でも涙するんやとびっくりした。そのくらい命が生まれるということは、神秘的で劇的で、人生で何回も味わうことができないとっても特別で非日常な出来事なのだと思う。 出産は「非日常」? クリニックでの入院生活は快適だった。特に一人目のときは、何もかもわかっていない初産婦だったので、手厚いサポートがとてもありがたかった。赤ちゃんを預かってくれるし、時間になれば調乳されたミルクと赤ちゃんを部屋に運んでくれる。おっぱいが張ればマッサージもしてくれて、個人病院ならではのサービスで全身オイルマッサージまで!とにかく「休むこと最優先」の五日間だった。 一方で、夫にとっての「出産」とは、「面会」 だった。一日1~2時間だけ病室に来て、赤ちゃんを抱っこし、ミルクをあげ、おむつを替える。訪れては帰って行く、を五日間毎日してくれた。 そう、なんだか、出産自体も出産直後も、入院中は病院にお任せすることも多く、私にとっても、夫にとっては更に、生まれたての我が子との関わりはトリミングされた体験の連続だったなと感じる。だから今回は、切り取られた場面をつぎはぎしていくより、もっと 「家族みんなで引き受ける」 形にしてみたいと思った。 「日常の入り口」としての出産 もちろん、二度の出産が問題なく進んだからこそ、こう思えるのだと思う。妊娠経過に問題はなく、出産も見本のような安産。出産直後、身体も心も特に大きなトラブルを感じずだった。だからこそ、今度は「非日常」ではなく、「日常の入り口」としての出産に挑戦してみたい。 実際、産後スムーズに暮らしに接続していくためには、「しっかり休んで回復」がめちゃくちゃ重要なのも二度の経験で体感してるので、入院の価値もものすごく感じる。できるだけ自然なお産を、と助産院で出産した友人にも意見を聞いたけど、自宅だと全然休めないから後に響かせないためにも助産院がおすすめ!とのリアルな証言に、そうやんなぁ.. と考え込んだ。助産院と自宅出産の違いは、「場所」の違いだけで、立ち会ってくれる助産師さんの数も、設備も何も変わらない。医療介入のない自然なお産だけを目的にするなら助産院で出産・入院で全然よい。子供も含め家族みんなの立ち会いだってできるし、敢えて母子同室を希望してずっと一緒にいることももちろんできる。おいしい食事が据え膳上げ膳で用意されるだけでもめちゃくちゃ意義がある。(夫は料理が苦手なので、五日間の美味しい食事を手放すのは相当惜しい) たった五日なんだから、退院後以降どうせずっと家族五人一緒にいるんだし、助産院で入院した方が夫も本当は気楽だと思う。思うというか、そう言われた。 それでも、自宅で、とやはり決めたのは、お産が非日常の出来事ではあるけど、「日常の入り口」であってほしいから。たった五日、されど五日。「私と赤ちゃん」だけが別の場所にいるのではなく、「夫と上の二人」とも同じ空間で。家族全員が、学校・保育園・仕事など、変わらない日常生活送りながらも、家族が増えるという大きな変化を、日常にできるだけ早く馴染ませて行けたらと思い、出産を「日常」に溶け込ませて体験してみたいと思った。 いのち本来の力を感じてみたい また、自宅出産で、“いのち本来の力”というものを、ピュアに、ダイレクトに、生の形で体感しできるのではという思いもあった。一人目・二人目の出産の前に私はマタニティスイミングのスクールに通っていた。そこでは泳いで体力をつける以外に、お産がスムーズに進むように呼吸法の練習をした。それがめちゃくちゃよかった。力を抜くために息をできるだけ長く吐くこと、陣痛と陣痛の合間は痛みがなくその間に呼吸を整えたらよいこと、特にこの二点は二度の出産を支えてくれた。 「呼吸」を通して、赤ちゃんと自分が協力してお産を進める。その経験が身体に刻まれ、今度は、「呼吸」だけでなく、お産の過ごし方すべてを、自分の身体の感覚を頼りに、主体的に決め、動きたい。その選択の自由のために自宅出産をしたい、と思った。 実際、分娩台もなく、いつも寝ている布団で産むことになる。病院で産んだ時は、ケーブル付きのモニターに繋がり、ベッドから立つこともなかったが、今回は陣痛が来てからも家の中で動くこともできるし、横たわるのか跪くのか、楽な体勢を自分で探すこともできる。きっとおなかの中の赤ちゃんと自分の身体が、その瞬間瞬間の最適解を伝えてくれるはず。もちろんそれを叶えるために大事なのは、妊娠期の過ごし方。毎日の暮らしをどう整えるか。食事、運動、睡眠を整える日々は、身体の小さな声に気づく感度を高める時間でもある。それは、これまで自分を無理に動かしてきた生き方とは逆のベクトルだったかもしれない。身体と心をすこしずつ整えていく、その時間の積み重ねこそが、お産のその瞬間に、いのちの力を引き出すことにつながる——そう直観的に感じていた。   もうすぐ迎えるその日に向けて...

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