ジュエリーの歴史 後編
海外では時代と共にジュエリーの変化がみられましたが、日本は古代から江戸時代末期までポカンとジュエリーの文化が抜けており、独特な歩みがみられます。今回は、日本におけるジュエリーの歴史をさかのぼってみたいと思います。 ◆日本における歴史 古代~戦後 日本では縄文時代、古墳時代の遺跡から、貝殻等で作られた首飾りや腕輪などの装飾品が出土しています。しかしその後、かんざしや飾り櫛はあったものの、海外で広く普及した指輪、ネックレス、イヤリングなどの装飾品は江戸時代末期まで日本に存在しませんでした。 明治時代初期にはようやく上流階級にジュエリーの存在が認知され、ファッションとして徐々に取り入れられるようになり、社会の西洋化とともにジュエリー文化も浸透します。昭和に入ると日本人の中にもジュエリー職人が生まれ国内生産が盛んになり、器用な日本人の気質も相まって製作技術が進展し、ジュエリー文化が一気に発展しました。 1960年代 1960年代、高度経済成長により国内ジュエリー市場は急拡大し、大量生産・大量販売の時代を迎えます。1960年にダイヤモンド、色石の輸入が自由化され、海外からの流入量が増加。この頃から結納に天然石や真珠のジュエリーを使った婚約指輪を添える文化が定着しました。 1969年には銀座ジュエリーマキ1号店がオープンしチェーン店時代に突入。あらゆるファッションブランドがそれまでの伝統的でクラシカルなファッションから変わり、派手な色、デザイン、柄物を発表し、ジュエリーも一目見て存在感のあるものが人気となります。 1970年代 1970年代も引き続きジュエリー市場は拡大し、1972年三越が出資していたティファニー・ジャパンが店舗を増やし、海外ブランドの参入が本格化します。アパレルメーカーが数多く誕生し、大量生産が確立されたことで、小売店も増えトレンドの変化が早くなり、女性向けファッション雑誌も数多く創刊されました。また、海外高級ブランドの人気が高まりジュエリーも豪華なものが好まれるようになった反面、1973年の第一次石油危機やベトナム戦争に影響を受け、ヒッピーに代表される自然志向や倹約主義を求める人々も誕生し、創造的で多様性のあるファッションが生まれました。 イギリスのダイヤモンド販売企業デビアス社が「ダイヤモンドは愛の証」「婚約指輪は給料の3カ月分」というメッセージを大々的に広告したことで、ダイヤモンドの婚約指輪が日本で急速に普及、婚約指輪に占めるダイヤモンドの比率は1960年代の7%から50%を超えるまで激増し、日本人の間でダイヤモンドを贈ることが常識となります。1987年には俳優の郷ひろみさんが二谷友里恵さんと結婚した際に、ダイヤモンドの婚約指輪の値段を「給料の3カ月分」と発言したことも、文化を根付かせた一因といわれています。 1980年~1990年代 1980年代はアパレルがジュエリー業界に相次いで参入しました。1987年新宿ルミネジュエリースクエアがオープンするなど、ファッションビルのテナントでジュエリーが販売されるようになり、より一般顧客にとって身近な存在となります。 バブル景気でブランド志向が強まる中、1985年男女雇用機会均等法が制定され女性の社会進出が進んだことで、贈答用に限らず女性が自ら気に入ったジュエリーを大量に購入するようになりました。バブル崩壊前後の1991年までジュエリー市場の拡大は続き、市場規模は年商3兆円、女性一人当たりのジュエリー購買額で世界一位となります。旺盛な需要に応えるため企業は同じデザインのジュエリーを大量に製造していきました。 2000年代以降 バブル崩壊後ジュエリー市場は急速に縮小し、2000年代には市場規模が年商1兆円、ピーク時の1/3まで後退します。その間ジュエリー企業の倒産、破産、買収が相次ぎました。2001年米国同時多発テロの影響で婚約指輪がよく売れ、同年の年末商戦では高額品も好調でしたが、市場全体を盛り上げる程のインパクトはありませんでした。 ジュエリー市場が縮小した背景には、経済が後退したためだけではなく、カリスマ的なファッションリーダーが不在となり読者モデルを参考にするなどファッションが多様化していく中で、大量生産のジュエリーに消費者が飽きてしまったことも関係しているといわれています。2000年にはソフトバンクがダイヤモンドドットコムでジュエリー業界に参入、インターネットの普及により洋服だけではなくジュエリーもネット販売が行われるようになります。 2008年にはリーマンショック、世界同時不況を契機にファストファッションブームが起きます。UNIQLO、GAP、ZARA、H&Mなど、トレンドを取り入れた上で安価に売り出すブランドが台頭したことで、ジュエリーも低価格競争が起きました。2009年にはアマゾンが宝飾品ネット販売を開始し、販売チャネルの多様化も進みます。2013年頃からは景気回復と訪日外国人が急増したことで再び高額品の販売が伸びたものの、2016年にはアベノミクス失速によりインバウンド需要が落ち込み、インポートブランドも相次いで値下げを行いました。 2010年代は、世界のファッション業界で多様性、包括性が重視され、人種、性別、体形、年齢に関係なく開かれたファッション活動が行われ、日本でもプラスサイズのモデルを起用される等の変化が起きました。またSNSの発達により消費者が簡単に情報を入手できるようになり、ジュエリーもブランド名だけではなくメッセージ性のある無名ブランドにも焦点が当たるようになってきました。 そんな中、NUDGEは2019年に生まれております。まだまだ新しいブランドですので、今後の展開にご期待ください! いかがでしたでしょうか? 今ではジュエリーが当たり前に使われていますが、日本では明治時代頃まで浸透していなかったというのは不思議な感じですよね。そして現在は多様性の時代。ジュエリーを持つ意味も、人それぞれオリジナルでよいのだなと思いました。 文責:三神 将明 『ジュエリーの歴史 前編』はこちら