普段何気なく身につけているジュエリー。ファッション、思い出、資産のためなど、あなたはどの様な理由でジュエリーをお持ちですか?
人とジュエリーのお付き合いは長く、古代まで遡ります。今回は時代の流れに沿ってその役割がどう変遷したのか、紐解いてみましょう。
◆世界における歴史
- 古代~18世紀
ジュエリーは身を飾るものという意味で「装身具」と呼ばれ、モノで身を飾る文化の無かった古代人が刺青や歯を削る「身体変工」を施したことが最初といわれています。その役割は悪霊から身を守る護符、遊びの一種、他人との違いを表すものなど、所説あります。
古代エジプトの遺跡からはトルコ石やラピスラズリなどの天然石を使用した装飾品が発掘されており、「王」が登場すると支配者が「神」の代理として権威を誇示するため装飾品で盛大に身を飾るようになったと考えられます。
その後ローマ帝国の繁栄と共に装飾品はファッションの一部として欧州の一般大衆に広まりましたが、キリスト教が国教に指定されると、威厳を示すための道具として豪華絢爛な装飾品が発達し教会や聖職者に奉納され、ファッションとしての役割よりも資産的価値があるものとして扱われるようになりました。
ルネサンスの時代に入ると、王侯貴族社会が誕生し装飾品は貴族階級の「特定の人物を飾るもの」として広く普及します。
- 19世紀
19世紀にはイギリスの産業革命で資産を手にした成金が家族や愛人のために大金で装飾品を購入したため、新たな市場が誕生し徐々に装飾品が大衆へ広まりました。
この時代は金価格が上昇、金の使用量を減らすために繊細な金細工技術が発達し、また海外からイギリスへ新しい文化や素材が持ち込まれたことにより新たなデザインが開発されます。現在「アンティークジュエリー」と呼ばれるものは、この時代の作品が多いです。王侯貴族時代はサイズの大きい装飾品が好まれましたが、大衆へ広まるにつれてサイズは小型化します。
19世紀終盤にはジュエリーの大衆化がますます進み、それまでは顧客要望に沿ったオーダーメイドで製造されていたものが量産化され、宝石店も既製品の販売を行うようになりました。
そして量産品を販売するため、新聞広告やジュエリーカタログが使われるようになります。街中ではガス灯照明と板ガラスが普及したことで、夜でも商店街で買い物がされるようになりましたが、あまり明るくは無いため少ない光でも存在感がある色石や真珠を使ったジュエリーが中心で、ダイヤモンドは多く使用されていませんでした。
- 20世紀
20世紀に入ると、世界大戦を経て女性が自ら働き稼いだお金を自分で使える時代へ。女性のファッションは男性に代わり働くためロングスカートから膝丈スカートや直線裁ちの男性的衣服が登場。
それに伴いジュエリーもサイズの小型化、直線や幾何学模様を用いたデザインが好まれるようになります。それまで欧州中心であったジュエリー市場がアメリカを中心に伸び、工業製品化が進んだことで大量生産、大量販売される様になりました。
神々のため、王侯貴族のため、そして庶民のものへ。歴史を知ると、ジュエリーへどの様な想いを載せて持とうか、改めて考える機会となりました。
ここまで世界の歴史を振り返りましたが、日本はどのような歩みを進めてきたのか。後編でご紹介させて頂こうと思います。
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